Act.3 「充実感」を求めて
はじめまして。愛知県内の回復期病院で理学療法士として働いています。
竹内理人(まさと)
と申します。
いきなりですが、今回は僕の座右の銘を紹介します。
それは、「充実感」です。
簡単に説明しますと、何事にもその先の「充実感」を求めてやっていきたい。そういった意味です。
一応しっかりとした意味をGoogleさんに聞いてみました。
充実感 [じゅうじつかん]
心が満たされている、満ち足りているという心情。遣り甲斐。
出典:Weblio辞書
…そういうことみたいです。
大学時代の親しい友達なんかには、よく充実感を得たいとか言っていました。
僕はロードバイクに乗る事が好きなのですが、ロードバイク好きの友達と一緒に作ったTシャツにも「充実感」を英訳した文字を入れたくらいです。それくらいこの言葉には思い入れがあります。
仕事やスポーツなどでは、【結果がすべて】という言葉もあるほどで、する側がどうこうではなく出来上がった結果がすべてだなんてことを言われます。
例えば、ある理学療法士がたくさん勉強し、知識・技術を得て、それを駆使し患者様の治療にあたったとします。しかし患者様の主訴に対しての治療結果は得られませんでした。
このとき、理学療法士はたくさん勉強し知識・技術を身に付けたことに関して充実感を得ているかもしれません。
でも患者様から言わせてみれば、そんなことはどうでもいいですよね。お金を払って治療してもらったのに。結果が得られてないわけですから。
理学療法士のが勉強した過程ので得られた充実感や自己満足なんて関係なくて、お金が発生している以上は結果を出すことが必要ですよね。
では人生も結果が全てなのでしょうか。
結果がすべて?ホントに?
少なくとも自分の小中学校時代は、努力や過程を認めてもらえるような環境に身を置いていた気がします。
しかし高校→大学→社会人 と経ていくうちに徐々に結果しか見てもらえないような環境に移り替わってきました。
僕だけではなく、社会一般には結果が全てだという考えが蔓延している気がします。それが自分にも浸透してくると、人生も結果が全てだと感じるようになってきてしまいます。
「達成感」より「充実感」なワケ
結果を誰かと比較すると落ち込んでしまったり、結果が出ないことを恐れて新しく挑戦するということ自体が億劫になってしまったりしてしまいます。
だから、やりきって目標やゴールを達成した時にしか得られない「達成感」を追い求めて物事を行っても、自分が幸せになれないと思います。
人生は仕事と違って最終ゴールがありません。最終ゴールがあるとしたらそれは息絶える時です。そのために人生に「達成感」を求めても、最期まで幸せになれないのではないでしょうか。
ああ、幸せな人生だったな。なんて死ぬ間際に考えられたらそれはいいことかもしれませんが、人生はいつ終わるかわかりませんし、死ぬ間際にそんなこと考えられるくらい意識がしっかりしている保証なんてありません。
だから、失敗したり結果がでなくてもいいから、物事を運んでいく中での過程で「充実感」を追い求めて生きていきたいと感じます。(※完全なる私見です。)
失敗はあくまで結果。努力が報われないことも多々あると思います。
努力はギャンブルです。努力は必ず報われるなんて嘘っぱちだと思っています。申し訳ないですが。
だからこそ、結果にこだわり過ぎず、物事のプロセスを楽しんだほうがいいし、「充実感を得るためにはどうするか」を考えて行動を起こしていきたいと思っています。
このブログも運営メンバーの充実感につながるようなブログになっていけばいいなと考えています。
まあ、何事も極端は良くないとも思っている ので、そこそこに気張ってやっていきます。
文責:竹内理人